逃げる話。 その2

”逃げる”話の第2弾。 

今回は私が社会人1年目の時に、信頼する先輩からいただいた言葉を通じて、私の考えを紹介したいと思う。

私は、新卒入社した会社で希望通りの配属が叶わなず、辛いことが多い日々を過ごしていた。そんな中、研修時にお世話になった先輩方がよく声をかけてくださったのだが、中でもある先輩から頂いた言葉がとても印象に残っている。

 

「元気なうちに旅立たないとダメよ。」

 

なぜこの言葉がこんなにも心に響いたのか?

第一に、「逃げる話。その1」に登場した教授同様に逃げる(=会社を辞める)ことを肯定してくれたこと。

第二に、逃げることが出来るかどうかは自分にかかっているし、限界が来る前に決断すること、すなわちタイミングを逃さないことの大切さを示唆してくれたこと。

そして、単純に嬉しかったのもあったのだと思う。仕事を通じて知り合った方が、仕事を抜きにして自分の身を第一に案じてくれているという事実そのものが、家族や友人に同じ言葉を掛けられた時とはまた違う安心感を与えてくれた。

 

ただ、この言葉に対してどこか抵抗を覚えてしまう人もいるかと思う。なぜなら、かくいう私もこの言葉を中学・高校時代に聞いていたら、素直に受け入れられなかったに違いないから。優しい言葉をかけてもらったこと自体はとても嬉しいけれど、何かを辞めるということが”負ける”ことに思えてならなかった。

でも、今なら痛いほど分かる。逃げることは必ずしも負けを意味していない。むしろ、自分が生きやすい世界を自分で整えるしたたかさこそ身に着けるべきだし、一つの手段としての”逃げる”の有効性たるや。

「自分が生きやすい世界を自分で整える」ことは、大人になるにつれて自分の世界が広がっていく中での醍醐味でもあるはず。親が用意してくれた環境を徐々に抜け出し、自分の決断がより濃く反映された世界に身を置くようになるのだから。

このことを悲観的に捉え、何事も自己責任のように感じてしまう時期もあった。しかし、これらを肯定的に捉えるとするならば、今後の自分の選択次第で何かが変わる可能性があるということ。今いる世界は自分が積み重ねてきた選択の結果であり、定められた運命などといったドラマチックな類のものではないのだ。

そのように自分の現状を捉えられるようになった時、私はハッと気づいた。越えなければいけないといつしか思い込んでいた壁だって、逃れられない試練でもなんでもないのかもしれない。自分で自分の首を絞める必要なんてないじゃないか。自分の世界に要らない困難なのであれば、そもそも真正面から向き合う必要なんてないのでは?と。

 

こんな風に昔の私と比べ随分と開き直って考えられるようになった今、とても生きやすくなった。

私が今意識していることは、「私の人生は私のもの」だし、「手綱は自分自身で握り続ける」ということ。一方で、たくさんある選択肢の中で選び取った世界を生きているに過ぎない、ということも忘れないでいたい。世界はここだけじゃないのだ。常に色々な選択肢を視野に入れているととっても生きやすい。

  

これが、私が前向きに生きられるように辿り着いた考え方。

どなたかの参考になればこれほど嬉しいことはない。