新卒入社した会社を辞めた話。
社会人2年目の秋。
私は、新卒入社した会社を退職しました。
今回は退職を決断するにあたって私が考えたことを基に、同じように悩んでいる方々へお伝えしたいことをブログにしてみました。
■退職・転職に迷う方々へ
実際に行動に移すかどうかはまた別として、新卒入社した会社を辞めるかどうか迷っている方は結構多いと思います。
そしてこの場合の“迷う”には大きく分けて2つの原因があるのではないでしょうか?
1.今勤めている会社や今の生活にあなたを引き止める何かがある。
2.退職後の未来へ得も知れぬ不安を感じている。
そんな風に迷っている方々へ、実際に転職に踏み切った私がお伝えしたいこともまた2つです。
1.まずは迷っている事実そのものについて“よく考える”こと。
2.“よく考え”た後には“なるようになる”と思うある種の強さを持つこと。
“よく考える”ことは自分の考えをクリアにしてくれましたし、“なるようになる”と思うことで不要な不安は取り除かれました。
一見相容れないこの2つは、自分の進むべき道を悩んでいた私にとって大事な要素だったと思います。
□“よく考える”ということについて
退職に限らず、何かに悩む時、その原因・背景にある事実に目を向けることはとても大事だと思います。
退職するべき?それとも留まるべき?
そもそも、「もう限界、辛い、辞めたい」とずっと思っていたはずなのに、いざとなるとなぜ私は決断できないでいるのだろう?
何が決断を迷わせているのか、私は“よく考え”てみることにしました。
−“よく考え”てみた、私を迷わせていたもの
そして、その答えは、給料(私の場合は下がることがほぼ確実でした)や新卒入社というある種のブランドへの未練だと気付いたのです。
そこから私はさらに考えました。
世間一般論ではなく自分尺度で考えた時に、それらは本当に会社に留まるに足るものなのだろうか?と。
このあたりの思考の展開についての詳細は別記事でもお話してみたいと思っているのですが、給料は最低限のラインを確保の上、業務内容とのバランスこそ判断基準にするように改めましたし、新卒入社した会社を早期離職することが(一般的には)転職時にリスクになり得るだけであって、新卒入社した会社を続けること自体は私の人生において特に重要じゃないことにも気付かされました。
−“よく考える”ということ まとめ
退職もそうですが、行動を起こすための決断といえば一大事ですよね。即決することはもちろん難しく、多くの場合何かしら迷うのではないかと思います。
そんな時は、結論を出すことを急がず、まずは迷っているという事実そのものに目を向け、“よく考える”ことが重要です。
その方法を直感的に言うなれば、なぜ?を重ね続けること。そうやって考えを深め整理していくことで、優先順位や価値観が明らかとなり、決断のための判断材料になってくれるでしょう。
(そうなれば嬉しいところですが)もちろん、考えることで迷うことなく決断ができるという訳ではないかもしれません。それでも、漠然と迷うことと明確な論点を持って迷うことには大きな違いがありますし、熟考を重ねた判断材料を持っていること自体も一つの財産だと私は思います。
□“なるようになる”と思う強さについて
そして、考え尽くした後は“なるようになる”と流れに身を任せる度胸もまた大事です。
どれだけ頭の中で考えてみたって、人に聞いてみたって、ネットの中の情報をかき集めてみたって、不確かなものは残り得るのですから。
−尽きない不安も“なるようになる”
実際、私自身も未来への不安は尽きませんでした。
転職先で馬が合わない上司がいたらどうしよう?
いわゆるブラック企業だったら?
前の会社の待遇だってもしかしたら改善されるかもしれない。
転職後の会社もすぐ辞めてしまうかもしれないし・・・。
長期的に無職になってしまったら?
想像と言うべきか、妄想と言うべきか。大きな決断を目前にすると、人間こういった思考が不思議なほど捗るものですよね。
それでもひとしきりうじうじと悩んだ後にふと思ったのです。
だからといって、今の私に何ができるというのでしょう?
どうしようもないことを考えている時間がもったいないのでは?
あとは、“なるようになる”、やることはやったのだから流れに身を任せてみよう、と。
この思考の転換は、なんとなく不安に襲われていた私の気をとっても楽にしてくれました。
−“なるようになる”と思うこと まとめ
そもそも未来とはいつだって不確実なもので、会社を続けていたところで確実な未来が待っているわけではないですよね。
変化を前に不安が増大してしまうのは当然のこととも言えると思いますが、だからこそ、流れに身を任せ“なるようになる”とどんと構える姿勢を持つことも大事なのだと思います。
今の自分がその不安を解消する方法を持っているのであれば、実践すればいい。
でも、自分の力が及ばないことを不安に思っているのであれば、なるようになることを信じて他のことに時間を使う方がよっぽど生産的ですし、心の健康のためにも良いと思います。なるようにならなかったとしてその時にどうにかすれば良い、と割り切って思える強さも生きやすくなる術なのではないでしょうか?
□“よく考え”て、かつ“なるようになる”と思うということ
“よく考える”ことと“なるようになる”と思うことの使い分けこそが重要であるということも、今までのお話とセットで私が必ずお伝えしたいことです。
“よく考え”れば全てが解決するという訳ではないですし、“なるようになる”と思うことは思考の放棄を意味している訳ではありません。
両者を使い分けてこそ効果が最大限発揮されるのはもちろんのこと、一方だけではむしろ事態を悪化させたり自分自身を追い詰めたりすることに繋がりかねないと思います。
正反対に思える、けれども切っても切り離せない2つの思考法を持ち、適切に使い分けることで、私自身、心身ともに健康が守られました。極端になることなくバランスをとることが重要、というのは様々なことに共通して言えることであり、今回も例に漏れずだと思います。
■最後に・・・
退職・転職に限らずとも、人生の岐路に立たされた時、私はこの二つを意識して一歩を踏み出していきたいと思っています。
一時の気の迷いではなく、自分の考えで踏み出した一歩は、たとえ芳しくない結果が待ち受けていたとしても無駄ではなかったと自分自身納得ができる気がしますし、私はそんな生き方が素敵だなと思うのです。
逃げる話。 その2
”逃げる”話の第2弾。
今回は私が社会人1年目の時に、信頼する先輩からいただいた言葉を通じて、私の考えを紹介したいと思う。
私は、新卒入社した会社で希望通りの配属が叶わなず、辛いことが多い日々を過ごしていた。そんな中、研修時にお世話になった先輩方がよく声をかけてくださったのだが、中でもある先輩から頂いた言葉がとても印象に残っている。
「元気なうちに旅立たないとダメよ。」
なぜこの言葉がこんなにも心に響いたのか?
第一に、「逃げる話。その1」に登場した教授同様に逃げる(=会社を辞める)ことを肯定してくれたこと。
第二に、逃げることが出来るかどうかは自分にかかっているし、限界が来る前に決断すること、すなわちタイミングを逃さないことの大切さを示唆してくれたこと。
そして、単純に嬉しかったのもあったのだと思う。仕事を通じて知り合った方が、仕事を抜きにして自分の身を第一に案じてくれているという事実そのものが、家族や友人に同じ言葉を掛けられた時とはまた違う安心感を与えてくれた。
ただ、この言葉に対してどこか抵抗を覚えてしまう人もいるかと思う。なぜなら、かくいう私もこの言葉を中学・高校時代に聞いていたら、素直に受け入れられなかったに違いないから。優しい言葉をかけてもらったこと自体はとても嬉しいけれど、何かを辞めるということが”負ける”ことに思えてならなかった。
でも、今なら痛いほど分かる。逃げることは必ずしも負けを意味していない。むしろ、自分が生きやすい世界を自分で整えるしたたかさこそ身に着けるべきだし、一つの手段としての”逃げる”の有効性たるや。
「自分が生きやすい世界を自分で整える」ことは、大人になるにつれて自分の世界が広がっていく中での醍醐味でもあるはず。親が用意してくれた環境を徐々に抜け出し、自分の決断がより濃く反映された世界に身を置くようになるのだから。
このことを悲観的に捉え、何事も自己責任のように感じてしまう時期もあった。しかし、これらを肯定的に捉えるとするならば、今後の自分の選択次第で何かが変わる可能性があるということ。今いる世界は自分が積み重ねてきた選択の結果であり、定められた運命などといったドラマチックな類のものではないのだ。
そのように自分の現状を捉えられるようになった時、私はハッと気づいた。越えなければいけないといつしか思い込んでいた壁だって、逃れられない試練でもなんでもないのかもしれない。自分で自分の首を絞める必要なんてないじゃないか。自分の世界に要らない困難なのであれば、そもそも真正面から向き合う必要なんてないのでは?と。
こんな風に昔の私と比べ随分と開き直って考えられるようになった今、とても生きやすくなった。
私が今意識していることは、「私の人生は私のもの」だし、「手綱は自分自身で握り続ける」ということ。一方で、たくさんある選択肢の中で選び取った世界を生きているに過ぎない、ということも忘れないでいたい。世界はここだけじゃないのだ。常に色々な選択肢を視野に入れているととっても生きやすい。
これが、私が前向きに生きられるように辿り着いた考え方。
どなたかの参考になればこれほど嬉しいことはない。
逃げる話。 その1
前回の記事では、逃げることの大切さを綴ってみた。
私がそのように考えるようになったきっかけはいくつかあるが、今回は不登校に関する話を紹介したい。
大学時代に受けた講義の中で、教授はこのように語っていた。
「不登校とはすなわち、
彼・彼女達が自らを守るために”逃げる”という選択をした、ということだ。
周囲に異変を知らせてくれた、その事実を無駄にしてはいけない。
学校には同じように苦しみながらも、
逃げ出すことなく我慢している子がいるのかもしれないのだから。」
目が覚める思いだった。
"逃げる"ということをこれほどまでに全肯定してくれる大人はいつぶりだろう?
私はいつから、辛いことがあっても我慢したり、立ち向かって乗り越えていかなければいけない、そうするしかない、と思い込んでいたのだろう?
別の道を選ぶ、という選択肢はいつの間に消えてしまったのだろう?
思い返してみると、成長する中で、辛いことからも逃げることなく立ち向かい物事を続けることの大切さが語られる場面は多くあった。学校でも、家でも、テレビでも、映画でも。
”継続は力なり” ”石の上にも三年”
私は、いつからかそのような価値観に囚われ、逃げずに立ち向かうことこそ目指すべき強い人の姿だと信じ込んでいた。
そんな自分自身に気づいたあの瞬間は、今でも忘れられない。
世間的に見ても、逃げないことを正とする風潮があるのではないか。どうしても私はそのように思えてならない。杞憂に過ぎないのであれば良いのだが、もしかつての私のように考えている人がいるのならば、警鐘を鳴らしたい。
自分の命以上に大切なものなんてないし、大切なものを擲ってまで、苦しみ続ける必要はない。
自分の身を守るために逃げ出して何が悪いのだろう。そのことを責める権利が一体誰にあるというのだ。
辛い時は、立ち止まってもいい。
”逃げる”ことを選択肢に入れることだけでも忘れないで欲しい。
これは私自身の経験からも感じていることだが、
辛い時にはどうやってその壁を乗り越えるかということに考えが偏ってしまう。
いわば、ずーっと真正面を向いている感覚。壁の前で思わず俯きそうになるところを必死に自分の頭を起こし、壁を見つめているような。いつのまにか、方向転換をすることも、周囲を見渡すことも”出来なく”なっている。
ただし、この時の”出来ない”は、能力として”出来ない”のではなく、やろうと考えもしていない”出来ない”に過ぎない。
だからこそ、いつだって”逃げる”ことを選択肢に入れることが出来る。
私は今、”逃げる”という選択肢に気付くきっかけになれたらいいな、と思ってこのブログを書いている。
届いてくれたら嬉しい。
23歳の私が今と未来について思うこと。
今と未来どっちが大切ですか?
比べるものではない、だとか、繋がっているものだから、だとか
そういう話ではなく、あくまで直感的な話として。
私は、今が大切。
だって、結局は自分が一番可愛いから。
どれだけ取り繕っても、私にとってそれが揺るがない事実だから。
先日、仕事関係のとある人にこう言われた。
「将来ってどう考えてるの?」
・・・。
仕事に対する夢や10年後に思い描く姿を生き生きと語れば良いのだろうか。
まるで、就職面接が再来したかのようだった。
結局、私は曖昧に笑って誤魔化した。
相手は、瞬時に悟ったようだ。
あ、何も考えていないんだな、向上心がないんだな、と。
実際、「まぁまだイメージつかないか」とフォローまでしてくれた。
内心は少し違ったのだが、うまく言語化できなかった。
たとえ言語化できたとしても、その場で言うにふさわしいことではなかったろう。
将来について何も考えていない訳ではない。
でも、今の幸せもとっても大事。
いつ死ぬかわからないのだから。
たとえ今辛いとしても、未来のことを思って頑張れるのならいいかもしれない。
・・・頑張れるという表現は少し違うかな。
多少俯き加減でも前を向けるのであればいいと思う。
ただ、完璧に自分の足下しか見えないとき、
自分がどこを向いているかわからないとき、
もはや暗闇の中で動いているのか止まっているのかさえ分からないとき、
そこから逃げてみる勇気を持つことを心に留めておきたい。
私は自分が何よりも可愛い。
だから、時として逃げるのだ。